短編映画「馬橇の花嫁」
馬橇の花嫁








Introduction
昭和の名曲「ここに幸あり」が70年前の再現映像と蘇る
前作「リトルサーカス」(第24回上海国際映画祭金爵賞入選)をカンボジアで撮り上げた逢坂芳郎監督は、この映画のために故郷・十勝へ住居を移し制作に臨んだ。北海道の役者が脇を固め、多くの地元の人々がスタッフとして参加・協力し、約70年前の農村の景色を再現している。主題歌は、紅白歌合戦7回出場を誇る大津美子の名曲「ここに幸あり」(昭和31年)。当時18歳の大津美子の透き通った歌声と芯のある歌詞が花嫁の心情に鮮やかに重なる。本作品は第6回海南島国際映画祭の金椰賞(短編部門)ほか、高雄映画祭、テヘラン国際短編映画祭、札幌国際短編映画祭、山形国際ムービーフェスティバルのコンペティション部門に入選。海南島国際映画祭の審査員を務めた映画監督リー・ルイジュン(『小さき麦の花』)から「俳優の演出とシーンを構築する力に秀でた監督」と評された。


Story
昭和30年代の十勝の農村にあった 家族と婚礼の原風景
雪解け水が静かに流れ始める頃、馬橇の鈴の音が農村に優しく響く。
厳しい冬を乗り越え、家族と共に迎える婚礼の季節。
これは、かつての日本の農村に息づく、春を待つ家族の物語。
北海道・十勝に暮らす一家の長女“一子”が同じ集落に住む“豊”に惹かれ、結婚に至るまでの暮らしを、農村の情景と織り交ぜ描写した『馬橇の花嫁』は、写真を一枚一枚繋ぐように精粋だ。馬とどんころによる豆おとし、青年団の酒盛り、相撲大会や盆踊り...昭和30年代前半の北海道・十勝の風景が繊細なモノクロ映像で甦る。
Cast

一子
東盛あいか
豊
田中陸
1995年生まれ。愛知県出身。2019年から、俳優として活動を開始。
主な出演作に、安井祥二 監督「つれづれ」、村口知巳監督「あたらしい世界」、天野大地監督「勝手に死ぬな」、宮原拓也監督「洗浄」等。


アオ
モモ姫
2008年生まれ。北海道大樹町出身。
2歳の頃より道の駅で馬車営業。映画「のぼうの城」でエキストラに参加してから、NHKドラマ「開拓者たち」、朝ドラ「なつぞら」に出演。現在は、乗馬、馬車、馬耕、馬搬、と活躍の場を広げている。人には温厚だが食べ物が挟まると、他の馬には厳しい。好きな食べ物は青草、人参。
澄江(一子の義姉)
海老原百華
大阪府出身。劇作家、演出家、役者。
在学中に劇団千坐千草を結成。主な作品に『スナノオンナ』『仮面の告白』等。解散後は言葉や身体を用い、主にパフォーマンスや映像などの分野で活動中。


1970年生まれ。神奈川県出身。
中学生の時にTVドラマ〈金八先生〉に感銘を受けて役者を志し、20代前半より主に映像の分野で活動。主な出演作品は、金子修介監督「デスノート」、周防正行監督「それでもボクはやってない」、吉田有佑監督「氷河期サウナ」等。
正男(一子の父)
八下田智生
チヨ(一子の母)
磯貝圭子
札幌座所属俳優。舞台を中心に活動し、チェーホフやイプセンなどヨーロッパの古典劇にもメインキャストとして出演。オリジナル作品では北海道に生きる人物をリアルに演じてきた。国内ツアーを始め、ハンガリー・サハリン・韓国での海外公演にも参加。主な映画作品として主演短編映画「PRINTS」(ジャック・キング監督)はクレルモン=フェラン国際短編映画祭に入選、「こんな夜更けにバナナかよ」(前田哲監督)「ホテルローヤ ル」(武正晴監督)などがある。



剛生(一子の兄)
アップダウン
阿彦(青年 団員)
竹森巧
札幌月寒高校の同級生、竹森巧と阿部浩貴によるお笑いコンビ。1996年結成。2年前に吉本興業を退所し現在フリー。 阿部は『とんねるずのみなさんのおかげでした』の細かすぎて伝わらないモノマネで優勝。 竹森は音楽活動も行い、NHKみんなのうたや岩崎宏美さんにシングル曲『絆』を楽曲提供、揖保乃糸CMソングに起用されメジャーデビューを果たした。お笑いと歌を使い楽しませながら日本の歴史を伝える二人芝居を2018年から始め、北海道の歴史を紐解く2人芝居『カイ』、特攻隊をテーマとした『桜の下で君と』、原爆をテーマにした漫才など幅広い層に伝える活動を展開し、全国で反響を呼んでいる。 竹森は初書籍「桜の下で君と」を発売し活動の幅を広げている。
阿部浩貴
芙美子(一子の妹)
三輪美月姫
北海道帯広市出身。日本大学芸術学部放送学科映像技術専攻2年。
同校入学後、演技か技術どちらに進むべきか悩んでいたところ、一子の妹役の募集を知り応募した。撮影後「この作品は自分のやりたいことへの第一歩を踏み出す 勇気をくれて、宝物のような経験になりました」と語っている。

Theme song
「ここに幸あり」
大津美子

(キングレコード)
昭和30年にデビュー。翌年31年に「ここに幸あり」を頂きました。「今までの女性は苦労してきた。これからは幸せにならなければいけない、君の若さを大空にぶつけて歌ってほしい 」。そんな先生の思いを受け歌いました。当時、日本は貧しいけれど心は豊かな時代。この映画に「ここに幸あり」が流れることを心から嬉しく思っております。
